『いくら背伸びをしてみても 相変わらず地球はじっくり回ってる。 今自分に出来ることを ひたすらに流されずにやってみよう。』 “少年” by ゆず
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「顔の見える援助」って何なんだろう?
2008-02-08 Fri 21:19
今日ODA・プラント輸出便覧の2007年度版を読んでてそんなことを思った。

この資料の中では、昨今の日本のODAの受注者に占める日本企業の比率が低下していることに対する問題意識が何度も提示されてました。
詳細は省きますが、「調達の一部をタイド化するべきだ」、とか「JICSにもっと調達監理をさせるべきだ」、みたいな主張がなされていました。

それらの中で「二国間無償のスキームで国際機関に委託するのはいかがなものか?」という点のみはなんとなく共感できましたが、他はいまいち共感できませんでした。

だって、日本企業の受注率が下がってるのは外国企業の方が相対的に優れているからじゃないの???
それにタイドからアンタイドへの意向は国際的な潮流だし、妥当性もあるのにそれに逆行すればOECDでまた叩かれるのが目に見えてるのに…

スローガンとして「顔の見える援助」という言葉をよく聞きます。この資料の中でも何回も出てくる言葉です。
誰も説明してくれませんが、意図としては、日本人がODAの現場で働くことによって日本に対するイメージを良くしようということなんでしょう。

もちろんこのことは特別非難されるようなことではなく、ODAの効果のひとつとして認められて当然のこと。

しかし、それが現在の効率と結果を最重視する現在の手法と相性が悪いことは間違いないです。
現在では外国企業の方が、より低コストでより高いパフォーマンスを発揮している傾向があるので、日本企業が淘汰されてしまいますから。

まぁそこら辺が日本企業としては面白くないのでしょう。

しかし開発援助を行う中で、途上国の事情よりも自国(というか会社)の事情を優先しようとする考え方はさすがに時代錯誤なんじゃないでしょうか。

「顔の見える援助」という言葉は、産業界が市場の変化に対応する企業努力を怠るための言い訳のように僕には聞こえて仕方ありません。

んー、あんまり調達監理については詳しくないので散文になってしまいました。
このテーマについては、援助行政についてもう少し勉強して、他国との比較も交えながらまた考えてみたいです。
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はじめてのしゅーかつ
2007-08-29 Wed 22:35
学部3年生らしく、昨日、今日とリクナビ主催の就活フェアに行ってきました。
休学していたため本格的な就活は来年やることになるのですが、
早めに知っておいて損することはないと思うので、色々調べたり、自己分析してたりします。

さて、というわけで行ってきました東京ビッグサイト!
日本の三大オタク聖地の一つですね(違)
あそこら辺に行くのは初めてだったのですが近未来的な建築物がたくさんあって驚きました。時々忘れるけど21世紀なんですよねぇ、もう。

全体的な印象は、就活の初期らしく参加者も参加企業も生ぬるい雰囲気。
ちらほら聞こえてくる他の参加者の話や質問は能天気そのものだったし、企業の担当者も気合の入った人は少なかったように思いました。

二日間で三井住友銀行、鹿島、朝日新聞社、バンダイ、野村総研、リクルート、三菱UFJ不動産、マクロミル、スターツ、合計9社の話を聞いてきました。
ちなみに個人的に話が聞けて良かった、面白かったと感じたのは鹿島、バンダイ、リクルートの三社。行って後悔したのは三菱UFJ不動産とスターツ。空気がヌル過ぎ。高校生じゃないんだからもっと内容のある企画にして欲しかった。

鹿島(つーかゼネコン全部)は今まで全然興味がなかったけど、話を聞いて興味が湧いてきた。
今まで気付かなかったけど、インフラやビル等のハコを作り上げるのって、経済効果や社会への影響を考えると、実は凄い仕事だと思う。というかそれ以前に単純に巨大な建築物を作ること自体が凄い仕事だとも思う。
それに鹿島が打ち出してる3つのヴィジョンにも結構心を動かされた。
①環境問題への取り組み(自然エネルギー発電とか)
②高い技術力を生かしたグローバルな貢献(途上国でも業務を受注してる)
③更なる技術力の向上(超高層建築とか)
実情がどうなってるのか知らないので手放しで評価はできないけれども、ヴィジョンとしてそういうことを設定するのは素敵だなぁと思いましたし、何より個人的にツボでした。
だって海上風力発電とかアフリカで高速道路作るとか高さ800mの超高層ビル建設計画とかマジで燃える(笑)

バンダイは人事の人と30分くらい話せたのでめっちゃ面白かったです。
少子高齢化の時代でおもちゃメーカーとしてどうやって生き残って行くのか?とか、
商品化を前提としたアニメ・特撮の企画が増え、コンテンツ自体が劣化している現状をどう思うか?とか、
色々好き勝手に聞いてきました。
人事担当(しかも若い)ゆえに至らない点もあったけれど長年(?)の疑問がある程度解消できたので嬉しかったです。
ちなみに前者の質問には「バンダイは玩具メーカーではなく、総合エンターテイメント企業。ナムコとの統合もそれを強化するため。『楽しい時を作る企業、バンダイ』というキャッチに全ては現れている」との回答。納得。
後者の質問には「そのことは社内でも認識されている。現在対策を考案中」とのこと。もうちょっと具体的にどんなプランがあるのか聞きたかったなぁ。

リクルートは、「さすがリクルート」って印象でした。
今までどんな企業なのか分からないけど、すごい企業らしいってことしか知らなかったけど、おぼろげながらに概要は理解できたよーな気がする。
自称「総合情報サービス企業」or「ブランドコミュニケーション企業」
とにかく社員の意欲がすごい高くて、常に全力投球してるイメージ。
たかが就活フェアだけど、多くの社員が今やっている仕事、自分が将来やりたい仕事に対して明確なヴィジョンを持っていたように感じた。
業務内容にそれほど興味があるわけでもないのに、なんとなくここで働いてみたいかも、なんて思ってしまった。
でも今の俺にはあんまり向いてないだろうなぁ(苦笑)
必要な情報を集めるアンテナを展開し続ける能力、常に流されず問題意識を持ち続ける能力、
リクルートのようにコミュニケーションをぶっ通し続けて仕事をするために必要な能力だと思うけど、今の俺には欠けているもの。
日常生活でもうちょっと意識しながら改善していかなきゃなぁ、と久々に体感させられた。


今の段階では興味も分野もてんでバラバラ。
やりたいことは幾つもある、けど選択は慎重にやらないとなぁ。
転職するのは割りと簡単だけどキャリアを積み重ねていくのは難しい。

ま、時間はあるので調べながら考えて、色々経験して、また調べて考えていきたいと思ってます。
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TVアニメ コードギアス反逆のルルーシュレビュー
2007-08-17 Fri 18:03
こっそり更新再開。
先日放映された同アニメ最終話を見てどうしても書きたくなったから、それだけ。

早速レビューに入りますが、本作は中々変わったアニメだと思います。
全話を通して視聴して感じられた本作のテーマは以下の2つです。

①他を理解しようとしない人間の怠慢さと傲慢さの提示
②極めて少数の人間の、極めて私的な理由により振り回される世界(あるいは日本)への警鐘と皮肉

結論から言うと、本作は無敵超人ザンボット3や伝説巨神イデオンのように悲観的な世界を描こうとしていたのだと思います。ただ、本作がザンボット等の欝アニメと異なるのは、世界の描写が直接的ではなく間接的である点です。
この点に注意しながら①、②それぞれ説明していきたいと思います。

・・・え、その前に本作のストーリーが分からないだって?
そんなのは各々Wikipediaその他で調べておくれ。
すごくかいつまんで説明すると、「母親を殺された少年が復讐のため、そしてその事件の時に障害を負ってしまった妹のために戦う」って、そんな感じ。

①について
本作における人間観は極めて悲観的である。

一般的なアニメにおいては、登場人物は他人との衝突や自らの失敗や成功を通じて精神的に成長していく場合が多い。しかしながら本作においては、そういった描写はほとんど見られない。本作の登場人物たちは、異なる意見を持つ他者に対して理解を示すことはなく、ただ否定して自分の考えを押し付けるか、あるいは完全に無視している。このプロセスの中には当然アンチテーゼやアウフヘーベンという過程は存在せず、コミュニケーションの断絶と停滞があるのみである。そのため、登場人物たちは初回登場時から最終話に至るまで、ほとんどその考えを変えることはなく、精神的な成長もほとんど見られない。
(例.主人公のルルーシュは、初期の段階で目的のためには手段を選ばず他人を自分の駒として扱う、という描写がなされているが、結局この不道徳的な性質は最終話まで変化することはなかった。)

また本作のもう一つの大きな特徴として、人権や民主主義といった近代社会思想の成果を完全に無視していることが挙げられる。具体的には人種差別、人命軽視、帝国主義的価値観の描写が特に多かったように思われる。本作の登場人物の大半は、差別主義者かもしくは極端な能力主義者(他人の経歴や人格自体に興味がない)のどちらかである。またジェノサイドや殺人の描写も通常では考えられないほど多い(23話がその最たる例である、殺人を行うキャラに躊躇や苦悩が感じられないのも注目すべき点である)。そして本作において帝国主義的な「ブリタニア」が世界各地の植民地化を進め、民主的な「ヨーロッパ連合」が腐敗している、と述べられているのも興味深い。ただこの極端な時代錯誤な描写に関しては、製作サイドが「旧日本植民地の台湾・朝鮮や連合軍占領下の日本を参考にしている」と発言していることもあり意図的なものと思われる。


②について
このアニメの中の世界(と呼ぶよりは日本と呼ぶべきかも)は、極めて少数の人間(のしかも私的な理由)により左右される。その意味では本作も所謂「セカイ系」の作品としてカテゴリーされ得るであろう。

本作の主人公ルルーシュは反政府組織のリーダーなのであるが、そのじつ、母親を殺した皇帝への復讐の妹の安全確保しか考えておらず、民族独立や人間の尊厳を守るといったことには全く興味を持っていない。「行政特区日本設立(実際に意味するのは帝国への恭順)」に賛同しかけたり、最終話で不利になった反政府軍を見捨てて誘拐された妹を助けに行くという言動、加えて「民族独立は復讐の一つの結果に過ぎない」という趣旨の発言をしたことを見ればこれは明らかである。

また主人公の親友であるスザクはブリタニア帝国を内部から変革しようと口では言っているものの、そのじつ、どのように変革するのかという点については全く考えていない(少なくともそういった描写は無かった)。作中で他のキャラに「自分の行為(スザクは占領前の戦争時に総理大臣である実の父を殺害した)を償うため死に場所を探しているだけ」と指摘された通り、彼もおそらく何も考えていないのだろう。そういう意味で、スザクはルルーシュと同類とみなすことができる。

二人ともロクに考えて無いくせに才能だけはあって、世界(日本)の情勢を大きく動かしているのがなんとも滑稽である。
もっとも、ブッシュJrやアフリカの独裁者達の様に現実世界の政治家達が一体どれだけ深く考えているのか、という疑問もあるのだが。


本作が他の所謂「欝アニメ」と異なるのは、こうした現状に対して、キャラクターが疑問を抱いたり苦悩したり絶望したりする描写がほとんどない点である。主人公のルルーシュはもちろんのこと、一話限りのモブキャラに及ぶまで、どこまでも自己本位で思考停止している様子が描かれている。その様は、さながらツッコミの存在しないボケだけの漫才が続くようであり、ある意味シュールで滑稽な光景である。

ここまで読んで分かるだろうが、本作は、視聴者からすれば、キャラクターへの共感(念を押すが萌えや燃えなどではない)が困難で、ストーリーへの感情移入がし辛いことこの上ない作品である。だがここまで首尾一貫していることを考えると、①や②を強調するために製作者はあえて視聴者を突き放しているのではないかと考えられる。


と、まぁレビューはこんな感じ。
ぐだぐだと長文を書いたけど、はっきり言って俺は面白くなかったです。上記した通り感情移入はできないし、時代錯誤かつ残酷な描写が多かったので、好きになれるわけないです。
・・・まぁ作画が良かったのは認めますが。
本作は続編が製作される予定らしいが、どうなることやら。
まだ書きたいことはあるけどまとまらないので今日はこのへんで。

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いじめのある国
2007-02-17 Sat 21:59
いじめのある国

地球という名前の小学校がありました。

スーダンというクラスでは、悪い学級委員を中心としたグループがクラスの一部をいじめていました。

そのいじめがあまりにも酷いので、生徒からの意見を受けた小学校の生徒会が動き始めました。

しかし生徒会はスーダンのいじめをやめさせることができません。

理由の一つは、生徒会のメンバーの中国はスーダンの学級委員と仲が良いので、スーダンをかばったため生徒会でなかなか一緒に動けなかったからで、

もう一つの理由は、生徒会が昔ソマリアというクラスの喧嘩をやめさせるのに失敗した苦い思い出があったからです。

生徒会が何も言わないことをいいことに、スーダンのいじめは酷くなっていきます。

しまいにはスーダンの悪い学級委員たちは隣のチャドというクラスの一部もいじめるようになりました。

理由はその生徒たちがスーダンでいじめられていたのと一緒のグループだったからです。

そしてチャドの学級委員が「うちのクラスへのいじめをやめてよ」と言ったのをきっかけにスーダンとチャドは仲が悪くなってしまいました。

最初はチャドはクラス皆でスーダンのいじめについて怒っていましたが、だんだんクラスがばらばらになり始めました。。

チャドのクラスの中で喧嘩が起きてしまい、チャドの学級委員はチャドでいじめを受けていたグループと仲が悪くなってしまったのです。

そうしてチャドの学級委員はスーダンと仲直りをしてクラスの中でのいじめを黙って見逃すことになりました。

スーダンでのいじめは今も続いています。

誰もいじめを止めません。
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大人の階段登る君はまだシンデレラさ
2007-01-09 Tue 21:46
タイトルに意味はありませんw
思いついたまま書いただけです。

今回はダチがみんな成人式について日記を書いてたのに触発されたので、
成人式について書いてみます。


さて、今年も逮捕者続出、マナー違反の嵐が吹き荒れる成人式ですが、そもそも成人式ってなんなんでしょうねぇ。

ちょっと調べてみたところ、現在の形式の成人式の始まりは1946年に埼玉県で青年向けに開かれた祭りでの「成年式」、のようです。その後1948年に国が公布・施行した祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」という趣旨のもと、翌年から1月15日を成人の日として制定した、ということらしいです。

このような経緯を踏まえると、近年の成人式は、単なる地方自治体主催の同窓会と化しているといってもいいでしょう。式場で好き放題にしている新成人の姿からはどのような形であれ自覚なんぞまったく感じられないし、はっきりとした問題意識や目的意識をもって生きていこうと考えている新成人も少数派でしょう。

しかしそれにしても「成人する」って一体何を意味するんでしょうね?

上記のコンテクストでは「成人とは礼儀正しく社会マナーを守れる人間」という意味になるだろうけれど、成人であっても無礼でマナーの欠片もない輩も実際多く存在する。
(なんせ国民の代表者たる国会議員のマナーが問題になってるくらいだからね 苦笑)

そのようなことを考慮すると上記の成人の定義は正しくないことになる。

むー。。。


そうすると、


そもそも「成人」とは何か?という命題自体が無意味なのかもしれない。考えてみれば「成人」という概念は単なる社会通念上の区分に過ぎないよね。実際には能力と人格と年齢というモノサシを状況に合わせて使い分けて「成人」とそうでないものを区別しているだけ。

そんな中で重要になるのは、

個々人にとって「成人する」ことが何を意味するのか

ということを考えることなのかもしれない。

たとえば、

俺が「成人」としての要素(上記した能力・人格・年齢)を備える(あるいは備えていく)ことが、俺の今後の人生において、またこの社会においてどのような意味を持ちえるのか。

これなら考えてみる価値はありそうです。
うん、てかこれは俺も考えなきゃ。

でもこの問いに今はまだ答えられそうにないっす(苦笑)
この文章、即興で考えながら書いたので。
今度気が向いたときに文書化してみます。



そんなこんなで今回もまとまりのない読みにくい文章でしたとさ。ああやだやだ。
早くまともな文章が書けるようになりたい。
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